2010年6月8日火曜日

三密提言 尊き潅頂の功徳を説け

最近は、葬儀無用論をテーマとして企画された本や雑誌が出版され、世間からの注目を集めている。葬儀離れには経済的な原因だけでなく、葬儀にいかなる意義があるのか、その正しき理解が一般に欠如していることがある。

真言宗の葬儀は伝法灌頂である。一般に灌頂の詳細を伝えることは、その性格上難しい。そこで檀信徒には積極的に結縁潅頂へ入壇を勧め、まずは灌頂を身をもって体験させるべきではないだろうか。入壇により真言宗徒としての自覚を芽生えさせ、またその終焉には菩提寺の住職から、最極の伝法潅頂を授かるものであると明示すれば、自ずから葬儀への理解を深めることになる。そのためには、平生から灌頂の功徳を説きつづけることが肝要である。 
 
宗祖大師はご帰朝の後、高雄山寺で潅頂を修されたが、その法水は今にいたるまで脈々と伝わっている。それを絶やすこと無く、広めることは末徒の責務である。幸い、近年は各山各地で定例或は機に臨み、結縁、受明の両潅頂が盛んに開壇されている。我々はその重要性を再認識し、僧俗問わず真言宗徒は総て灌頂へ入壇するものとの意識を高める必要性があるのではないか。

以前某師より、本山の結縁潅頂に檀信徒をつれていくのだが、自分自身は入壇しなくてもよいか、という質問を受けた。已灌頂である教師の入壇には抵抗を感じるとの理由であった。考え方は様々なので一概には言えないが、教化の面から考えれば率先しての入壇は重要であると思う。なぜなら、教師自らが示す姿に、多大な説得力があるからである。高座からの布教のみでは、もはや現代人を教化することは難しい。